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連載その6。難しいテーマを扱ったのはなぜ?

スタジオ・ゼロの橋野です。昨年から連載企画として「過去にインタビューなどで聞かれたことを振り返り、今、これからの為に想う事」を綴らせてもらっています。久々となる今回は、海外メディアからのこんな質問を振り返ってみたいと思います。

「これまで『ペルソナ』等の担当作で、人の「真の自分」や「心の奥深くに潜む恐怖や不安」等の難しいテーマや社会問題が扱われてきました。ペルソナ5ではどのようなテーマやモチーフを取り上げ、なぜそれらが重要だと思いましたか?」

これまでの作品作りでテーマを探すときは、探すというより、日ごろなんとなく感じているストレスに目を向けることが多かったと思います。個人的なストレスというより、なんとなく皆が感じているだろうな、という「当たり前に存在している」ストレスのようなものですね。担当前作の『ペルソナ5』のときもそうでした。開発当時、日本に住んでいて時折感じていた「社会への違和感」のようなものをテーマのヒントにしました。例えば、ネット社会によるコミュニケーションツールを全世代が当たり前に使いこなしているように見える今、ある特定の境遇下にある人々が、まとまって、時に軽率に、同じ方向にしか向いていないような違和感を感じることが増えていました。そして、その違和感は開発者同士でも共有が容易いほど、一般化している違和感でもありました。盗賊を題材にした『ペルソナ5』流に言えば、盗るものと盗られるものの隔たりが、誰の目にもはっきりと目に見える社会に変わっていく中で、操られやすい心の不安定さも、過去に比べ目にはっきりと見えるようになってきたと感じていました。こういった違和感をうまくエッセンスとして取り入れること出来れば、そこに立ち向かったり、あるいは利用したりしようとする劇中の人物たちへの共感が得られる手段の一つになるんじゃないか?と考えたのです。

ただ、こういう違和感の掘り下げは、そのままでは暗いイメージになりがちです。そこで、そのギャップを埋めるように、表面的な設定への落とし込みは、見ただけでワクワクしてもらえるような刺激性に拘わるようにしていました。そのギャップが意外性を生んで、ゲーム体験の「面白み」に繋がってくれればと思いながら、あらゆるパートの設定のソースにしていきました。こうしたギャップ(幅)を持たせる方が作品に奥行きが出て、結果的に娯楽作品としてのスケールが生まれる…というのが理想だったからです。


<過去の担当作『ペルソナ4』の舞台設定もテーマ設定から入ったせいで雰囲気は決して明るくはないけど、そのギャップを印象の明暗に使うようにしました。今思えば、作品に明るい面が多く出たのは、最初のドン暗さからの裏返しだったように思える…。>

テーマの設定とパートの設定の落とし込みでいえば、例えば『ペルソナ5』の場合、ダンジョンの設定に大きく影響させました。人間の「認知」のメカニズムを題材として「誰の話、どんなニュース」も、必ずバイアスがかかっているかのようなリアリティを、ゲームプレイの中心である「ダンジョン」の設定に取り入れました。うまく設定が機能すれば、実際の世界でも、歪んでいるのは架空のダンジョンの中だけではなく、自分自身で見ているはずの「現実世界そのもの」ですら、自己バイアスにかかって「歪めて見てしまっている」可能性もあることに気がつくプレイヤーもいるはずです。現代の恐怖とは、今、見ている世界が「誰かに見せられている世界」なのか「自分自身で、自分の未来のためにしっかり熟慮した結果として見据えている世界」なのか、情報のインフレによって、世界の誰にとっても境界がはっきりしないということだと思っていました。ですので、良かれ悪かれ、せめてそこには「自覚的でありたい」という視座の元で、ゲーム全体を構築できれば、作品独特の面白みに繋がってくれるだろう…という期待を込めて、当時は制作を進めていました。

こうした考え方を、改めて今、振り返ってみますと、テーマ設定が何処まで実際に面白さに機能したのか不明な部分もあります。方法論はともかく、演出次第なところもありますし、テーマ設定というものは、それ自体が面白く機能するというより、それをソースにすることで各パートの面白みが増えるという機能の方が強いようにも思うからです。特に物語への比重が大きいタイプのRPGでは、テーマの設定は即ちメッセージ性という言葉に置き換わってしまうことも多くて、気にしすぎると娯楽として余計な重さが入り込んでしまいがちです。メッセージ性という言葉には、説教臭さとか、製作者の自己満足とか、とかくネガティブなイメージもありますよね。そうなると果たしてメッセージ性なるものが娯楽作品に必要なのかどうか?という、やや面倒な話にもなってきます。

作り方の理想としては、テーマ設定も含め、全ては面白さのために設定されているべきだと思いますし、常に課題として取り組んでいることの一つです。そこで次回の予定となりますが、この「面倒な問い」について、もう少し突っ込んで考えてみようと思います。宜しければまた、お付き合いください!

アトラス スタジオ・ゼロ ディレクター&クリエイティブプロデューサー 橋野桂