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【スタッフブログ】ファンタジーの超大作をプレイして思ったこと

こんにちは。
スタジオ・ゼロの田中裕一郎です。

前回書かせて頂いてから随分と空いてしまいましたが、再び近況ブログをお送りする事になりました。

さて、皆さんは「スカイリム」というゲームをご存知でしょうか。
正確には「The Elder Scrolls V Skyrim」。
いわゆる「洋ゲー」なので馴染みの薄い方もいらっしゃるかも知れませんが、超大作の名に相応しいオープンワールド形式のファンタジーRPGです。実は最近、コレの話題のVR版をようやくプレイする事ができました。

個人的にスカイリムはPS3版の当時にもプレイした事があり、序盤の景色や展開などは頭に入っていたので「あれの臨場感がより高まった感じかな」くらいに予想していたんですが、実際に始めてみると待っていたのは全くの別体験。
ただの山歩きひとつ取っても、道の無い方向へ進むのを無意識に避けたり、立て札が現れる度によく確かめてしまったり、まるで現実のトレッキングのような思考回路になっている自分に何度も気付かされました。非VRではひたすら最短ルートめがけてアナログスティックを倒すだけだったのに……遂にゲームもここまで来たかという感慨が。
皆さんも機会があればぜひお試しあれ。

さて、そんな感じでワールド内の全てが贅沢なフォトリアル表現で視覚化されている「スカイリム」ですが、実は歩き回ってみると、作中で出会う無数の物語の中に、1つだけ全くビジュアル表現が施されずテキストを読む事しか出来ないカテゴリがある事に気が付きます。
それは「本」に書かれている物語。

スカイリムには作中に数百もの書物があり、ほぼ全ての中身を読むことが出来ます。中には数十ページにわたる本や、複数巻にまたがる連作も。物語形式のものも多く、天地開闢からスカイリム本編へと繋がる神話について説明された文献もあったりします。ゲーム世界に浸っているファンにとって、そんな重要設定は是非ともビジュアルで見てみたいと思ってしまう所ですが、書物は飽くまでも書物。基本的に文字だけ。ただページをめくる事が出来るだけです。

これ、よく考えると不思議に思えませんか?
これほど贅沢にビジュアル表現を追求しているタイトルにおいて、なぜ長時間テキストを目で追うだけの「本」という要素が残してあるんでしょうか。

これは飽くまでも自分個人の解釈に過ぎないのですが、恐らくこれは「ファンタジーのファンにはこの形式でしか満たされない愉しみがある」と制作側が考えたからではないかと思っています。

文字だけの書物に対して、読み手は全てを「想像する」しかありません。視覚的な後押しが一切無い以上、全ての情景を想像力だけで組み上げるしかないわけです。でもこのプロセスは「敷居が高く面倒だ」と感じる人がいる一方で、「それこそが楽しい」と感じる人も少なからずいるように思います。そして、ことファンタジーのファンを自認する人たちは、圧倒的に後者なのではないでしょうか。と言うより、それこそが「幻想する」という事であり、それが楽しいからこそファンタジーのファンだったりするのではないでしょうか。

どんなに優れたエンターテイメントに対しても「受け取るだけでよいもの」には真の感動を見出さない。「想像する/自ら考えて補完する」という空想のプロセス自体にこそ強い愉しみを覚える――そんな人々を楽しませるには、文字以上の手掛かりを得られない「本」というスタイルを残しておく事がどうしても必要だと、スカイリムは判断したのではないか。そんな気が何となくします。
個人的に、これは非常に重要な着眼点だと思います。つまり「全てを再現し尽くし全てを与える事は最善ではない場合もある」ということ。私たちの脳は見聞きした物をただ正確にメモリーするだけの写真機ではありません。私たちにとって「世界」とは、五感に飛び込んで来た情報から出来ているのではなく、それについての印象や考えによって出来上がっているわけで、クリエイターはその事を常に念頭に置く必要があると思います。

何を明かし、何を明かさないか。
何を見せるかではなく、どんな印象を与えるのか。
例えば馬車に揺られて旅をするような何気ない道程でも、そういった観点から表現を捉え直すことで、新しいインパクトをもったものに生まれ変わらせる事が出来るのではないか……?

スタジオ・ゼロという「旅の仲間」たちと共に、自分も日々、その手掛かりを追いかけているところです。
試行錯誤の旅はまだまだ続きます。
いつかファンの皆様に披露し、喜んでいただける日が来る事を祈って。

ゲームの感想トークかと見せかけて、えらく固い話になってしまいましたが、長文にお付き合い下さりありがとうございました!

…ではまた!